念珠とは
数珠は、古くから最も身近な仏具、法具として使われています。
数珠は「じゅず」「ずず」又念珠ともいわれ、その種類は現在、日本仏教の各宗派によって異なり、70種類あまりにおよびます。
数珠とはすなわち念珠であり、数を念ずる、あるいは数を記する意味を持ちます。仏教を信じる者、あるいは仏の道を信仰するものが常にこれを持つことにより、煩悩を消滅し、みずからも功徳さえ諸願成就することが出来るといわれています。
また、数珠は、梵語で「ハソマ」といい、中国の梁の時代(502~557)頃に「数珠」と呼ばれるようになったそうです。その起源は諸説があり定かではありませんが、一説ではお釈迦様が初めて使ったという言い伝えも残っています。
紀元2~300年頃に法具として普及し始めました。当時の数珠は、108個の主玉を通し、親玉に似た玉1個に結んだだけの簡単なものでした。日本への数珠の伝来は、仏教の伝来とともに552年頃といわれています。当時の数珠は、非常に高価な材料を用いて作られていたために、限られた貴族の間にしか伝わることはなかったそうです。
日本における数珠の最初の文献は、天平19年(743年)2月11日の「法隆寺の資財帳」であり、同年に「大安寺の資財帳」にも数珠のことが記載されています。
この頃の数珠は、前述の通り非常に貴重で、僧侶の間でもごく一部の者が使っていたにすぎません。この頃の遺品がいま御物としていくつか正倉院に納められています。
平安中期に国風文化が進む中、数珠が多く用いられるようになったそうです。平安末期から鎌倉時代にかけて、仏教各派ごとに自派独自の使いやすい数珠の形をとるようになり、現在の数珠の形の原型が形成されました。
江戸時代になると、それまで特定の人しかもてなかった数珠が一般の人々へも売買できるようになり、広く普及しました。
その中でも中国の禅僧達により伝えられた「片手(一輪)念珠」は、その手軽さもあって大いに普及しました。
珠の数は「数珠功徳経」によると108玉が最もよく、54、27、18玉と続きます。他の文献では1,080玉が最も功徳があり、108、54、27の順に功徳があるとされています。現在ではこのほかに玉数に制限なく、寸法を決めて作られるものもあります。
それぞれの玉にも深い意味があります。親玉は数珠の中心であり、釈迦如来又は阿弥陀如来を意味し、主玉は百八尊又は百八煩悩を意味します。四天玉は四天王又は四菩薩を意味し、弟子玉は21弟子、昔は記子玉といいました。浄明は菩薩を意味し、つゆ玉は弟子を止めるためのものです。中通しの紐は観世菩薩を意味します。
たとえば、真宗のお念珠は、蓮如上人の考案によるもので、基本形は浄土宗と同じですが、裏房の結び方が真宗独自のもので、「蓮如結び」といわれています。在家用のものも基本的には同じですが、これが簡略化されて寸法が決められた玉の数には制限のないのが特徴です。一般的には片手念珠も多く用いられます。