|
仏前で合掌礼拝する時は、必ず数珠を手に掛ける事になっております。
数珠をかけることによって自然と心が引き締まります。そこで数珠には、どういうわけがあるのでしょうか。
今回は皆様にわかりやすいようにお釈迦様と数珠の話をいたしましょう。
昔、お釈迦様御在世の時、現在のインドの地にあった難陀国(なんだこく)の毘琉璃王(びるりおう)がお釈迦様に申し上げるように使いをだしました、「我が国は、常に戦乱があるために、五穀実らず、しかも悪病流行して国を治めることが困難で多忙であります。政治をとりつつ仏の道を修行していきたいと思いますが、どうしたならばよいでしょうか。」とおたずねされました。
するとお釈迦様は、「それは難しいことではない。無楼子(むくろじ)の実、百八を糸でつないで、数珠をつくり、それをいつも手からはなさず、隙あるごとに、心からみほとけの御名を称えつつ(「仏法僧」と称えつつ)、一つずつつまぐれば、おのずから心は静まり、煩いをのぞき、正しきに向い、間違いのない政治をすることが出来るであろう。」と仰せになりました。
使いが戻りこれを聞かれた王様は、早速無楼子の実をたくさん集めさせ、千の数珠を作られ、親戚や家来どもに持たせ、王様自身もいつも手からはなさず、隙さえあればつまぐって、心よりみほとけの御名を称えられたそうです。
そして何日かたってから、王様は、お釈迦様をお招きして、皆とともに法話を聞かれました。これが数珠の始まりといわれています。
珠の数を百八とせられたのは、私どもの心が百八にも動きかわり乱れるということからで、これを俗に「百八の煩悩(ぼんのう)」といっています。その乱れやすい心が仏のみおしえによって、よき心に変わっていく、それを受け取らせようというので、このように仰せられたようです。
珠の中をつらぬいている糸は、ちょうど仏の心を、私どもの心の中に通しているわけであって、しかもそれを円く輪にしてあるには、心が円く、素直になることを意味しているので、心の平和を表しているのであります。
このようなわけをもったお数珠でありますから、取り扱いは大切にしていただき仏前におまいりする時は元より、出来れば、いつも数珠を手にかけて、自分の心をよきに導きたいものです。
|